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最近僕は子育てに少々迷いが生じております。
何でかと言いますと、来年から娘も小学生、親としてどのように彼女を方向づけしていくべきか、もっと自由にさせるべきか?ある程度の選択肢を持てるよう色々な経験をさせるべきか?悩んでおります。
そんな、最中一つの考え方として浮上した『やればできるという考え方は危険!』というマインドセット。
今回はこれについて考えてみたいと思います。
学校教育。所詮は記憶力。
学生の間は未だ、どうしても記憶力先行の教育がほとんどですよね。
よりたくさん覚えた子が成績も優秀。
国語力なんかであってもより多くの知識を記憶して、それを引き出せれば、自ずと成績はついてくる。
ほぼほぼ、それが学生時代の学習と呼ばれる作業だったと、僕は記憶してます。やんなかったけどね。
しかも記憶力ってある程度遺伝するんだとか・・・。そういった社会に子供を放り込むことを考えた時、果たして『やればできる!ガンバレ!』みたいなことで説得力を得られるのか?甚だ疑問なんですよね。
誰にも適正ってあるんじゃないか?
人間ってやっぱり適正みたいなものがあると思います。
こんな僕でも、文章を書くのは好きだし(上手い下手はちょっと置いといて)人の気持ちを理解するのが得意です。
でも、今考えたら学生時代もそうですが記憶力には自信がなかったかも。
そもそも、得意でもないことをやるのに、やればできるなんて発想は危険なマインドセットかもしれないな、と今更ながらに思います。今の学校教育上仕方のないことなのかもしれませんが、やりたくもないことを無理やりやらなければいけないわけですから。
それは、ストレスにもなるし結果それを活かせる職に就くのもマレ。やっぱり一番いいと思うのは、本人が得意なこと、好きなことをやるのがベストだと思うんですよね。
それを、昇華させた結果、それを活かせる職業に就く。
これって、理想的だと思いません?
やればできる子ばかりじゃない。
僕も含めてですが、結局やろうとしても出来ない人が殆どなんじゃないかなと思います。
だってやりたくないことをやらされているわけだから仕方ないですよ。
だから、安易に『やればできる!』何て言って、出来ないところは『努力が足りないんだよ!』みたいなことを言ってしまうことは、実は全然本人のためにならないです。
これは、大人になってからでも言えること。
そもそも、ですよ。好きなことをやってる人に『努力』何て言葉は不要じゃないですか。
関連記事 努力は必ず報われる!?我が子に見た努力不要論の真実!
下手な根性論みたいなマインドセットは人によっては合う合わないがあるかと思いますが、頭っからのそれは危険と言わざるを得ない。
努力するならまず、自分に合ったものを見つける努力をすることだと思います。
学校教育の意味
そんな世界へ子供を旅立たせる親の気持ちとしては、やはり心配で仕方がないんでありますが、こんな風に解釈も出来るかなーとも思います。
よく、『子は勝手に育つ』何て言い方もしますけど、自分の学生時代を思い返してみても、あの時間はすごく大事で結局は自分の適性を知る旅だったと確信を得るところがあります。よくよく思い返せばですけどね。
だからこそ、僕は子供の教育に関して、ひたすらに好きなことをやらせることに尽きると思っています。
人によってはそういった好きなことや適正に出会うのに色々な経験を経て時間のかかることもあるかもしれませんが、学生時代に学校で得るものってそれなんだと思います。これこそ、僕の子供に対する教育論。
まとめ
子供の教育は百人いれば百通りの考え方はあると思いますが、やればできるという一種、子供のマインドセットに危険を感じた僕の持論、『学生時代は適性を知る旅』ということで、今後は迷いなく娘を外の世界へ送り出すことができそうです。
僕のように子育てに奔走する皆様はどのようにお考えですか?
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